ヤリキレナイ川
知る人ぞ知る、数々のテレビで取り上げられたことのある「ヤリキレナイ川」。その源を長沼町との界にある標高275mの馬追山連山に発し、丘陵地を流下しながら由仁市街地を貫通し、夕張川に合流している小さな川です。
ヤリキレナイ伝説
石狩川水系の一級河川であるヤリキレナイ川は長さ約5㎞と小流ではあるが、市街地を流れているだけに、一度に多量の降雨があると増水して水害を引き起こし、地域住民を悩ますことが度々あった。
名前の由来は諸説あるが、看板にもある2つの由来と伝説となる1つの言い伝えがある。
由来1 アイヌ語の「ヤンケ・ナイ」(魚の住まない川)
「ヤンケナイ川」は、明治時代までは古山地区を源流としており、その付近に塩冷泉があり、これが「ヤンケナイ川」に流れていたため魚が住めなかったと言われている。
しかし、明治・大正時代にはサケやマスの遡上あったと言われているほか、現在でもウグイ・川エビなど水生生物も豊富でサケの稚魚放流も行われていた。
由来2 アイヌ語の「イヤル・キナイ」(片割れの川)
「イヤルキナイ川」は、イ(それの)・アルケ(片割れの部分)・ナイ(川)の意で、近くに流れる由仁川と双生児の片割れという意味である。 昔のヤリキレナイ川は、現在の北栄地区で由仁川と合流し夕張川に注いでいたので、アイヌの人々は双子の川と考えていたようである。
伝説 住民の思いが川の名前に!
ヤリキレナイ川は、大雨が降るたびに氾濫し、家屋や耕作物を流し、地域住民にとってはその度に大変遣り切れない(やりきれない)状況に追いやられていたため、明治時代から住民は「ヤリキレナイ川」と呼びはじめたという。
昭和41年の大雨で、またも氾濫し、由仁町は災害復旧工事の補助金申請書を出すことになった。この当時の担当職員が「ヤンケナイ川」と表現するところを、通称名の「ヤリキレナイ川」と表現してしまい、そのまま「ヤリキレナイ川」という名前になった。その後はすべてにおいて「ヤリキレナイ川」と表現するようになり、現在の「第1級河川ヤリキレナイ川」となる。
昭和56年には1時間に37mmもの大雨で大洪水となり、田畑、住宅に大きな被害をもたらした。特に道道札幌夕張線が堤防の役目となり溜池状態なった地区では、2階建て住宅がすっぽり埋まるほどの大水害となるなど、やっぱり「やりきれない川」なのである。
【出典:由仁町史及び言い伝え】